人から「そんなこと無理でしょう」と言われ続けたら、人はどうなるか。
簡単にわかることでしょ。
「無理」って可能性が「ゼロ」だと言われているのだから、自信が持てなくなるよ。
それが、身近な信頼できる人から言われたのなら、何も言い返せないまま「ゼロ」を信じることになる。
誰かが言っていた。「世の中は催眠術の掛け合い」だと。誰かの言葉に喜んだり傷ついたり、時には自分自身の心に左右されながら生きてる。自分も他人も催眠術師と同じだと。
昔から、他人の言葉に左右されやすく、他人からの評価を気にして自分らしくいられないことが多かった。
息子と向き合っていく中で、息子に掛けた言葉は、どれも自分自身に掛けたかった言葉ばかりだった。
「他人の評価じゃなく、自分自身を信じて」
自信を持てないでいる息子の姿は、自分を見ているかのよう。
私が鬱病になった時に、母も悩んだという。こんなに頑張っているのだから堂々としていいのに何故自信が持てないのかと、何度母から言われたことか。
自分への評価が厳しく、「まだまだこんなんじゃダメだ」と思うけれど、実力が伴うわけでもなく、その結果「自分はダメな人だ」と落ち込む傾向にあった。
息子も同じで、良くできたことでもなかなか自信に繋がらない。
自分を褒めろと言われても、褒められない自分を責めるという悪循環。
そこで、「できなくてもいい」という言葉も掛け続けた。何事も今はできなくても、なりたければ、いつかはできるようになるから大丈夫。
不思議なもので、繰り返し励ましている間に、自分までも「大丈夫」だと思えるようになった。
ところが最近、自信をえぐられるような気持ちになることが多々あり、前向きになったり落ち込んだりを繰り返してた。
前向きな気持ちをポキッと折るのは、何故か1番身近な人物(-ω-;)
まさかの主人だ。
何故かわからないけど、私が苦手だったものを克服しようと思ったり、頑張ろうとすることに対して、「今までもできなかったのだから無理でしょ」と笑う。
私が傷つくとは思っていないのか、つい思ったことをそのまんま口にしてしまったかのように、サラリと言う。
それが何度もあった。様々なことで言われた。
悪気はないようだけど、「え?」と目が点になってしまう。興味なくても、適当に「頑張れー」って言っておけばいいんじゃない?わざわざ全否定する必要があるのか疑問に思う。
パニック障害や今まで頑張れなかった部分を、今までずーっとずーっと克服したい気持ちはあった。どんなに時間がかかっても、いつかは…と思う気持ちはあった。
でも、夫の「無理」と笑う姿がショックで言葉を失う。普段は優しいし、不器用な私にも寛容な人。だから余計にショック…(´`:)
そういえば息子の不登校の時も、勇気を出し始めた息子にとんでもない言葉を投げかけて、息子の僅かな自信をなくさせたことがあったっけ。
悔しい。とても悔しい(T-T)
私や息子に対するどんな気持ちがそう言わせたのか、それを思うと苦しくなる。
少し前の弱い私だったら、ここで落ち込んで自信をすっかりなくしてただろうと思う。
でも、今はそうじゃない。
息子のおかげで、私は自分を信じることを学んだ。なりたいと思う自分に、いつかは必ずなれると信じ、困難な高い壁を乗り越える息子の姿を、私はそばで見てきたんだから。
もう大丈夫でしょ。
人の言葉に踊らされて自分を見失うのなんてバカらしい。悔しいから、できるようになって見返そう、そう思えた。
一時、主人を「私や息子を傷つける」存在のように思えてならなかったこともある。でも今は、「私や息子を強く鍛える」存在なのだと思い、何を言って来ても屈しないと決めた。
きっと主人から見ても、思うように動かない私達が手強い存在なのかもしれない(^-^;)
私達はお互いに試練を与える縁なのかな。趣味や好みも全く相反してるし、そう思うと納得!
普段は仲が良いけれど、時にはライバルのように火花を散らす。それを乗り越えた先にお互いにわかり合えるものがあるのかもしれない。
息子の為にも負けてはいられない!
主人にじゃなくて、自分のくよくよした気持ちに。
強い母になり、強い妻になり、息子と主人がピンチの時に頼れる存在になるゾ٩(๑´3`๑)۶
マイナスをプラスにできるかは自分次第。難しいけど、プラスになるように受け止めていこう。そのために泣くことも必要。道を迷ったり間違えたりも必要。ダメダメでもいい、それを忘れずに。
そして、誰に対しても「無理」とは言わない!可能性はゼロじゃない!
おっと!自分で読み返してみたら何だか誤解がありそうだと感じた(-ω-;)
仲はとても良いのでご心配なく(^-^)憎しみあったりもしてないし、平和です。
ただ個人的に人の心理の複雑さと、自分の迷いや決意を忘れないために記事にしただけなので、大袈裟に書いちゃったけど、サラリと受け流して下さいね(^-^)