SAKURAnoTUBOMIの日記

鬱病を経て、息子との不登校生活も経て、日々感じ、学び、感謝。 

お米の想い出

今週のお題「♯私の推し米」

ということで、過去に食べたことのあるお米をじっくりと思い返す…。

……。

すみません。何でも美味しくて選べない(^-^;)味オンチって訳じゃない。確かに甘くて感動したお米もあるけど、普段食べているお米だって、私には十分すぎるほど美味しい(*´ω`*)🎵

甲乙つけるなんて、私にはできないなぁ。

 

今回お米のことを考えていたら、色々なことを思った。

贅沢に高級なものばかり食べる人もいるけど、それって幸せ?

「美味しい」と感じる基準が高い人を見ると可哀想になる。それ以下のものは「美味しくない」と感じてしまうのは、何だか損な気がするから。

幸い、私は何でも美味しく感じられて幸せ(*´∀`*)

入院した時に味付けのない粥や野菜のドロドロしたものが出たけど、無事に食べられることに感謝してたから美味しくて泣いた。病院食を不味いと言ったのは誰だ!

 

小さい頃、茶碗に数粒のご飯粒をくっつけたまま「ごちそうさま」をした私に、父がお米の話をした。

お米には七福神がいて、その粒を残したら七福神を捨てるのと同じ。いつか食べ物に困るようになる。食べたら感謝の気持ちを忘れずに。

それを聞いてから、一粒も残さなくなった。感謝することで食べ物は何でも美味しく食べられるようになった。

 

息子の不登校中、すぐ近くの田んぼに、息子と2人でおにぎりを持って行き、田んぼ脇の大きな岩の上で食べるというのを何度かやっていた。

岩は昔に茶臼岳の噴火で飛んできたものらしい。2人で「大岩様」って呼んでた。悩んだときは、この大岩様の所に来て2人で話し掛ける。すると気持ちが楽になるのだから不思議だ(^-^)

不登校で毎日家で食事というのもつまらないから、おにぎりを作って大岩様に腰掛け、田んぼを眺めながら食べるようになった。

ある日、田んぼでは田植えが始まっていた。

2人でおにぎりを食べながら大岩様から眺めていると、農家さんが笑ってた。

いつかこの田んぼの稲達も、こうしておにぎりになって美味しく食べられるんだね。

その大変な作業を見ることも息子には良い勉強になったし、食べ物に感謝する大切さを一緒に学んだ。

 

いつかタイ米が食卓に並んだ時期があったね。みんな不味いと言ってた。確かに日本のお米のような甘さはなかったけど、これはこれで新鮮で良かった。文句言わずモリモリ食べる。

 

色々思い出してみたけど、やっぱりこうして食べられる毎日に感謝。感謝すれば何でも美味しい。

なんて幸せ者なんだ(笑)

 

つまり、こんな私に「推し」なんてものはなかった(^-^;)これからの人生で出会うお米も、今まで食べたお米も、どれも美味しくて仕方ない。それぞれの食べる瞬間の気持ちによっても味は変わる。もし幸せな気持ちで食べたなら美味しく感じられるんじゃないかなと思うから、常に感謝の気持ちを忘れずに。