SAKURAnoTUBOMIの日記

鬱病を経て、息子との不登校生活も経て、日々感じ、学び、感謝。 

親の期待?

子育てでやってしまいがちな小さなミス。

その多くが、言葉じゃないかと思う。

たった一言が子供の心を大きくひねくれさせる原因になり得るのではないかと思い、いつも気をつけて発言しなくちゃならない。

 

昔は感情に任せて言ってしまうこともあった。幼かった息子の気持ちを考えていたとは自分でも思えない。

不登校生活を始めてからいろいろ気づかされ、今に至る。

 

中学生になって、少しずつ不登校から脱し、自分の力で乗り越えるようになってきたら、安心…かと思いきや、今こそ親は慎重にならなくてはならないと感じる。

一見、普通に通えてる。行けば下校まで授業にも出席している。でも、不登校をしたのは小学校上級生の3年間。その内2年間はテストなども受けていない。6年の時は、通う練習をしながらテストも少しやったけど、宿題もできる範囲で良いからと、ほとんど免除されていた。

だから、危機感がない。テストや成績に対して全く危機感がなかった息子は、やはり、自主的に勉強してテストで良い点をとろうだなんて闘争心もない。

中学にもなれば、テスト内容も難しいし、成績もシビア。

 

学校に行けるようになったことで、主人の期待は高まるばかり。テスト前ともなれば「勉強したの?」と聞いてばかり(^-^;)

息子は少しウンザリし始めた。言われれば言われるほどやる気も失せてしまっている。

 

前期の期末テストで、得意だった英語を大幅に落としてしまった息子は、初めて悔しがった。

そして先日、後期の期末テストが終わり、早速いくつかの教科は採点されて返された。思ったより点がとれず、また悔しがって、帰宅するなり部屋に閉じこもった。

今回も、まぁ、そこまで頑張って勉強していたわけではないので、それなりの結果なのだけど、あれ程までに悔しがるということは、少しずつ、努力することの大切さに気づいてきたかなと感じた。

テストの点数は伸び悩んだかもしれないけど、悔しさを感じた息子は、大きく成長したなぁと嬉しく思う。

 

が、しかし、それを喜ぶ私とは違い、主人はこう言った。

「だから何度も言っただろ?勉強しろって。」

はいはい、正論ね。

だけど、子育てで言っちゃダメなやつ!

「だから言ったでしょ!」は言っちゃダメ。確かに言ってた。それでも必死にやらなかったのは事実。でも、今悔しさと闘ってる息子に言うのは違う。息子自身、わかってると思う。やらなかったからだと。それを「どうせ」と開き直ったなら、私だって言いたいことはある。だけど、落ち込んで悔しがってる。それだけで良いんじゃないかな?

 

不登校のせいにしちゃ何だけど(^-^;)

テスト、そして成績というものを意識することが、皆より少し遅れてるのではないかと思う。

 

個人的には、成績やテストの点数自体は、そこまで気にしなくてもいいと思っていて、中学生の今は取り敢えずそれがミッションだからそれに着目しているけど、私が息子にアドバイスするとしたら、「勉強しろ」ではなく、「壁を乗り越えるためにどう努力するか」だと思う。

大人になっても、テストのように実力を試される瞬間があるから、その時の為に、努力することを学んで欲しい。

 

何のために勉強しろって言われてるのか、正しく伝わらないと意味ない。

高得点をとるため?良い成績をとるため?1番になるため?

私の中では、どれでもなくて、息子がどんな壁も乗り越えられる大人になって欲しいだけ。

勉強は面倒くさい。だけど、面倒くさいからといって避けていても、いつかは乗り越えなくてはならない時が来る。そして、避ければ避けるほど壁は大きくなる。

失敗してもいい。立ち向かい、面倒なことに打ち勝って欲しい。その先には良い景色が待っていると思う。

 

そのために、何度も悔しさと闘って欲しい。

息子はようやくそのスタートを切った。今はそれだけで嬉しい(๑´ڡ`๑)

 

それでいいじゃない?パパ。

きっと満点とっても満足しないでしょ。きっとね。

 

親が期待して熱くなったって、息子のやる気に火はつかない。息子が自分で火をつけないとね。

 

親の期待って一体。

でも、それも愛情。主人は主人なりの愛し方で息子を愛してるだけ。ちょっと息子は嫌がってるけど(^-^;)ここだけの話。

 

息子は少しずつ、少しずつ前へ進んでる。迷いながら、それでも真っ直ぐ。

 

良かった(´▽`)🎵