SAKURAnoTUBOMIの日記

鬱病を経て、息子との不登校生活も経て、日々感じ、学び、感謝。 

明日で3年(T-T)

2017.3.27

明日で3年。那須雪崩事故で犠牲になった高校の山岳部の教師と生徒の8名を想う。

あの日、息子と遊んでいたら、たくさんのサイレンが聞こえてきた。近くのメイン通りである那須街道を駆け上がっていくサイレンの音。それからヘリコプターの音。

あまりにも騒がしくなったので、いつもと違う何かを感じた。

テレビをつけてみると、何度も速報で「那須町で雪崩事故…」と流れた。

それからは息子とニュースに釘付けになった。

被害状況も徐々にわかってくるけれど、わかればわかるほど恐くて震えた。

 

後でわかったことは、犠牲になった高校生は、私自身は直接面識がないけれど、何人かは知人の知人ということを知った。

今の職場でも、息子さんが(当時はもう卒業した後だけれど)同じ高校の山岳部だったという方もいる。

 

今年は暖かく、雪もあまり降っていないけれど、あの日は前夜からだったか、突然大雪になった。

我が家の方もかなり降ったのを覚えている。

山の上ならばもっと激しく降ったと思う。その悪条件で下された判断が、今回の最悪の雪崩事故に繋がってしまった。

 

友人の知り合いに山岳救助隊の方がいるそうで、その方は当時現場に救出に向かったという。

その壮絶な現場の話を聞き、体が震えた。

救出直後はまだ息があった子もいたらしい。力ないその子が震えながら最期に「お母さん」と強く言って息を引き取ったという。

 

涙が止まらなかった。震えが止まらなかった。

 

高校生、まだまだこれから長い人生を歩むはずだった子達。その子達の苦しみ、恐怖、そしてお父さんお母さんの悲しみは想像を絶する。

 

昨年、この事故の生存者である当時1年生だった子が、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ登頂をし、亡くなった先輩2人との約束を果たしたというニュースを見た。

事故の3か月ほど前に、先輩2人とキリマンジャロに登ろうという約束をしていたそうで、当日はその2人の靴紐を結び、2人と共に登頂したという。

 

事故に遭いながらも山を愛し登山を続けた彼は、素晴らしいと思う。当時の事故の証言者としても大変な思いをしてきたと思うけれど、こうして、亡くなった子達の思いも背負い、様々な活動をしているよう。

 

これからも彼を応援します。

 

明日で3年。

明日は那須町が悲しみに包まれる日。

 

改めて、いつもと変わらずそばにいてくれる息子を愛おしく思う日。