SAKURAnoTUBOMIの日記

鬱病を経て、息子との不登校生活も経て、日々感じ、学び、感謝。 

ニュースで胸が痛い

新型コロナウイルスCOVID-19。

あっという間に日本国内でも感染者が増えてることを、私は割と落ち着いて受け止めている。

 

インフルエンザの時はどうだったのかな?インフルエンザも今となっては当たり前のようにある病気だけど、初めて発見された頃はきっとパニックも起きたことだろう。

高熱も出るし、重症化する人もいる。

当時、情報も対処方法もわからなく、かかった人は恐かったに違いない。

 

この新型コロナウイルスも特効薬もなく、情報も少ない今は、恐くて恐くてパニックになるのも仕方ない。

でも、こうしてる間にも研究は進められ、いつしか薬が出来、治療法が見つかると、安心して騒ぎはなくなる…かな。

 

今、感染された方々は、怯えてワーワー騒いでる私達よりももっともっと恐くて苦しい。

 

感染は止められないと思う。かからないようにするには、全ての人が家から一歩も出ず、消毒し続けるしかないのでは?

世間は騒いでいるのに、観光で他県から大勢の人が出入りする。マスクしてないお客さんも多い。

「中国人は来てますか?」と聞かれたことがあった。

もうすでに国内の感染も多いのだから、日本のどこにいても感染する可能性はあると思う。中国人の方がいてもその方は在日かもしれないし、中国人というだけで感染を疑ってるあなたも、国内感染してるかもしれませんよ?と心の中で思ってしまった。

 

こんなに人が動き回ってる。仕事で観光で日本中の人がシャッフルされてる。どこで貰ってもおかしくない。自分がかかるのも時間の問題だと感じる。

 

感染者の受け入れを決めたホテルや病院。近隣住民への配慮不足でもめたりしてるニュースを見て、何が正解か考えさせられる。

 

震災後、福島の原発事故でここも放射線量が高く、風評被害で観光地も農業も大打撃。主人の会社も人員削減で半分の社員が去り、給料は半分以下。いつホテルが潰れるかという不安の毎日で辞めるか辞めないか悩む日々だった。子供達は今でも毎年検査を受ける。

今住んでる家は震災後に建てたけど、庭の落ち葉などを除去する除染作業をして、集めた落ち葉は大きな袋に入れられ、受け入れ先が見つかるまで裏庭に埋められている。

受け入れ先が見つかることはまずないだろうということで、業者さんも苦笑しながら「半永久に埋めておくと覚悟して下さい」と言った。

 

しばらくの間すっかり忘れていたけど、今回の感染者受け入れのニュースを見て、放射線量の高い落ち葉が地面の下には埋まってるんだと思い出した。

 

いつかも「明日は我が身」と書いたけれど、やはり、そう思ったら、いざ自分が感染した時に受け入れ先がないということは大変悲しいことだと思う。

どこかが声を上げなければ、その感染された方々はどうなる?受け入れた施設を責めるのは簡単だけど、ならば責めたあなたは感染者の方々に何ができる?

 

いつかのホテルに隔離状態になった方々に、外から応援のメッセージを送り続けたニュースは見てホッとした。

日本らしい優しいニュース(*´ω`*)心が温まった。

自分や家族が感染するのが恐いのは皆同じ。医療関係者など、仕事で関わらなくちゃならない方も多くいる。私達は少なくとも直接関わらなくちゃならないわけではなく、逃げようと思えば逃げられるけど、その方々は逃げられない。

近隣住民の不安も痛いほどよくわかる。風評被害も大変だということも、子供がいる家庭の不安も。でも受け入れた病院やホテルのスタッフの方々を思えば、周りの方々よりもかなりリスクが高い。命の危険もある。

説明不足で不安で責めたい気持ちはよくわかるけれど、表面のことだけで責めるのは、ちょっと違う気もする。責めるのなら代わりになるものを提案すべきではないか。

「感染者はどこに行けば良いですか」

そう聞かれたなら、その方はどんなことを言うのだろう。

感染された方々はこの受け入れてくれた施設に感謝することでしょう。可哀想なことに近隣住民に睨まれていることも感じているでしょう。

 

きっと、きっといつかは大丈夫。何の根拠もないけど、素晴らしい研究員の方々が頑張って下さってるのだから、必ず薬が開発され、今のパニックも一生続くものではないだろうから。

もう少しの辛抱、そう思う。

 

誰だって嫌なものは遠ざけておきたい。

だけど、原発事故の時だって、現場で命の危険と隣り合わせで闘い続けてる人もいるんだから、文句だけ言うのはズルいと思った。原発の元々の問題も多かったけど、現場の人に罪はない。

汚染物はモノだけど、今回は感染された人々だから、どうか、そんな扱いはしないで欲しい。なってない人は好き放題言って、なった人とその家族としてはどう思うだろうか。

 

改めて心に唱える。

「お互い様」

という言葉。

 

世の中が助け合い、優しくなれることを願う。