SAKURAnoTUBOMIの日記

鬱病を経て、息子との不登校生活も経て、日々感じ、学び、感謝。 

幸せ者!

出会いってやっぱり運命なのか…。

 

私はとても恵まれている。…そう昔から感じる。決して裕福というわけではない。逆に家計は火の車。だけど、つくづく恵まれているなぁと感じる。

 

幼稚園の時いつも一緒だった女の子は、色白で、か弱い静かな子で、親の事情で突然引っ越してしまった。引っ越す直前に聞かされ、その子の家の近くまで走って行くと、トラックに荷物を運び入れ、こちらに小さく手を振るその子がいた。突然の別れに泣くしかなかった。

すると小学1年生の終わりの頃に、1人の女の子が転入してきた。新しく来た子にみんなの関心が集まり、「どこから来たの?」と質問攻めにあっていた。

シャイな私は自分から声を掛けられなかったが、チラリと目が合ったのを覚えてる。どうやって仲良くなったのか…気がついたらその子と一緒にいた。

色白で体は細く、か弱そうなその子は、幼稚園の時仲の良かったあの子に似てる。だから記憶にも残らないほど自然に仲良くなったのかもしれない。

学校が終わってもお互いの家でよく遊んだ。よくケンカもしたが、すぐに仲直りできた。大きくなるにつれて、お互いの気持ちがわかるほどになり、ケンカもほとんどなくなった。

彼女は生まれながらに心臓を患っていて、学校では、急に驚かしたりしないように、と指導があった。

私は彼女のお母さんから聞いていて、当時は心臓病がどんなものなのかよくわからなかったが、大変なことなのだと理解していた。彼女を助けたい一心で、

 

私の心臓をあげる

 

血液型が違うのにそんなことばかり言っていた。でも、そんな想いが私を強くしてくれた。幼稚園の時の友達を守れなかったが、新たに守りたい存在が現れたことで、何でもできる気になれた。だから心臓をあげるなんて言えたのだろうね…。彼女の為ならあげても構わないと本気で思っていた。

実際は彼女の方が気が強く、私の方が守られていた気もするが、お互いに守り守られ最高の親友となっていった。

 

中学の給食の時、不思議なことが起こった。お互いに別の班だった為に背中合わせに食事していた。突然、彼女に名前を呼ばれたので振り向くと、彼女も同時に振り向いた。お互いに見つめ合ってから、同時に「何?」って聞く。

「え?呼んだでしょ?」

「え?呼んだのはそっちでしょ?」

とおかしなやり取りをした。近くで見ていた先生は、そのおかしな光景を見ていて、「お前達本当に仲良いなぁ」と笑った。

どちらも同じような空耳を聞いたのか…。今でも不思議で仕方がない。

その後の進路は別々だったが、どんなに離れていても、彼女が頑張っていると思うと、私も頑張れる。連絡もたまにしか取らないし、遠くてなかなか会えないが、何年会えなくとも妙な安心感がある。昔のように彼女の為なら何でもしてあげられる、そう今でも感じる。

 

主人との出会いも不思議で、職場の先輩後輩という形で知り合ったが、付き合い始めた日が、たまたま主人の母方の祖母の命日。

結婚し、もともとその祖母が所有していたという土地を貰い、家を建てた。そこは別荘地。森のような所で、すぐ近くには小川があり木々の中を流れている水の音が心地良い。様々な鳥が飛び交い、周りにも別荘や居住されている家もあるが、静かでとても良い雰囲気。この土地の周りだけ、やたらと巨木が残っている。

小さい時から森の中に住みたいと願っていた私は、思わぬ出会いから夢が叶ってしまった。周りの親族も驚いた。

結婚式の時の写真と引越初日の新居での写真には、それぞれ1枚だけにちいさなオーブが1つ写っていた。もしかして、主人のおばあちゃんが巡り合わせて下さったのかもしれない。何か意味があって巡り合わせたのかもしれない。

 

良い縁も悪い縁も、何か大切な意味があって巡り合うものなのかもしれない。そこから、何かを感じ、学び、感謝することが大切だと思う。

ウジウジ考えてると悪い縁が寄ってくるし、心入れ替えると悪い縁は去る。実際に私はそうだった。前向きになろうと心入れ替えたら、嫌だなと感じていた相手が、急に職場を離れて行ったり、絶妙なタイミングで去った。まぁ、その私が嫌だと感じる人だって、私に何かを気付かせるために現れたのだし、どこかの誰かにとっては素敵な方かもしれないのだから、その誰かに出会うために出発したのだろう。

そう考えていると、気持ちが楽になる。

 

嫌な人は自分に試練を与え成長させてくれる。

良い人は自分にチャンスを与え飛躍させてくれる。

 

こんな風に考えてみたら、全部、結局自分の為になってると思えて頑張れる٩(๑´3`๑)۶かな。

だから、私は「恵まれているなぁ」と心から感じる。