SAKURAnoTUBOMIの日記

鬱病を経て、息子との不登校生活も経て、日々感じ、学び、感謝。 

尊敬する人

今、私は一人息子を心から尊敬している。

 

事の始まりは…遡ればキリがないのだけれど、ブログの最初にも書いたが、結婚してから間もなくして、私は鬱病になった。

もともとすぐに人目を気にして落ち込む性格だった私は、結婚したことで主人からどう思われるか、ちゃんと家事をやらなくちゃ…と気負いし過ぎてしまった。線路沿いに住んでいた私は、踏切まで招かれるようにフラフラと行っては、ボーッと過ぎゆく電車を眺めていた。つま先のすぐ先はもう崖っぷちという感覚。目の前には真っ暗な闇が見えて、当時テレビでやっていた「笑っていいとも」の笑い声さえもかき消されていた。笑う人を見ても、その感情が理解ず、今までできていた笑顔をどう作って良いのかさえわからなくなった。自殺は良くないとわかっていたのに、人は絶望するとそんなことすらわからなくなってしまう。しまいには涙すら出ない無感情の私がいた。当時を振り返り、母は、手伝いに来たときに部屋の隅でジッと睨む娘を見て、知っている娘の顔ではなかった、という。

主人も暴れたり徘徊したりする私を責めなかった。徘徊すれば探し回り、暴れると布団を引っ張り出してきて、私を海苔巻きのようにクルクルと丸めた。手足が動かなくなると少し鎮まる。優しく「本当のお前を知ってるから大丈夫」って言ってくれたのを今でも覚えている。朝から暴れてひどい時には、仕事場であるホテルまでパジャマ姿の私を連れて行き、駐車場の車の中で、朝から晩まで主人の仕事が終わるのを待っていたこともあった。無気力すぎて一日中そこにいても苦ではなく、逆に主人のそばにいるという安心感が心地良かった。主人は私を見捨てなかった。当時は何をしてくれたかなんて覚えていなかったが、鬱病を脱した今は、あの頃の主人の苦労や優しさが次々と思い出されてきた。心から感謝してる。ありがとう、パパ。

 

そんな大変な中、お腹にいたのが息子。赤ちゃんができたということは素直に嬉しかった。でも自信の持てない私は、鬱病になったことで益々自信を失っていたから、こんな私が赤ちゃんを育てられるのか、徐々に不安が増していった。お腹が大きくなると、ふとした時に優しく温かい気持ちになれたが、不安は拭えなかった。相変わらず踏切に招かれてしまう。でも「一人じゃない」と赤ちゃんのことが頭をよぎり立ち止まる。そんなことを繰り返した。「あなたがいるから死ねない」ってお腹に八つ当たりしてしまうこともあった。その度に、私はなんてひどい親だと自分を責め、益々鬱病が加速し負の連鎖が起きた。

お腹の中で赤ちゃんが動いたり蹴ったりし始めると、赤ちゃんがいる実感が少しずつ希望となってきた。エコーで赤ちゃんの姿を見て、気がつけばにっこりと笑えるようになってきた。浮き沈みはあったが、赤ちゃんがいつも止めてくれた。

 

細く長く産まれた息子。他の赤ちゃんよりも、か弱く泣く姿が愛おしかった。

 

鬱病の私は、症状は軽くなったものの、浮き沈みの激しさから、子育ては本当に下手だったと思う。自分のことで精一杯の時は優しくできなかった。暴力はなかったが、精神的には息子には良いとは言えないと思う。子供の前で泣くな、ケンカするな、そんなことを心掛ける余裕は全くなかった。

息子はひたすらに優しかった。幼稚園の時、私が嫌な人に会ったことでいろいろあって泣いていたら、息子は肩にポンと手を乗せ、「ママ、おれだけをみてな」と真っ直ぐな目で言った。どこでそんな台詞を覚えたのやら…。でもキュンとしちゃった。

こんな男前な息子のエピソードはたくさんあって、話すと皆をキュンとさせてきた。幼稚園の若くて美人な先生方もすっかりメロメロに。

でも今思えば、ただ喜んでいて良い話ではなかった。はじめのブログでも書いたが、桜の蕾のエピソードが何故可愛い話だけで終わらないかというのは、この環境にいたからだ。子供はワガママ言えて、ぐずぐず文句言えて正解だと、今では思う。あんなに「良い子」はおかしいことだと、何故気付かなかったのか。

それをハッキリと実感したのは、小学生の時

長くなったので、次の日記に書こう。