SAKURAnoTUBOMIの日記

鬱病を経て、息子との不登校生活も経て、日々感じ、学び、感謝。 

尊敬する人3

前回「尊敬する人2」の続き。

 

(ちょっと話が長くなってしまった……😅)

 

不登校生活の間、支えてくれたのは先生や親、兄弟、近所の方だけではない。クラスの子達やお母さん達も理解を示し、ずっと支えてくれていた。変な目で見ることもなく、ただ会えたことを心から喜んでくれる息子のクラスメート達。学校で1番仲良しのクラスだった。

こんな環境でいじめもないのに、どうして学校に行けないんだ、そう主人は言う。それは世間の人も感じるだろうね。これが「一般常識」的な考えなのだろう。私もこの不登校生活を始める前は、そんな感覚だった。

でもね、それは違う。そんな単純なことじゃない。ちゃんと向き合えばわかる!息子は長年ずーっと我慢してきた。私達親が知らずにそうさせていた。

 

主人が出勤すると二人でゲームしてた。息子がハマったのはMin〇craft。私は見てるだけだったが、それでは会話がなくなりそうだったから、「教えて」と言って息子から教わった。

ゲーム依存症になるんじゃないかって心配されると思うけど、それは違うと思う。無気力にやるゲームはダメだけど、目を輝かせて何かを達成しようとしてる場合は大丈夫。(個人的な考え😅)

だから、私は一人でゲームをさせる気はなかった。常にコミュニケーションの1つとしてゲームをやることを許した。1時間までとかは決めずに、時々目を休める為にやめるだけで、やりたいと言えば一緒にやった。批判する人もいるだろうね。でも、私は信じてた。息子が唯一やりたいとハッキリとした意見を持って始めたMin〇craftは、人をダメにする物ではなく、私と息子をつなぐ大切なものになると。

パソコンを使うことに慣れ、指使いも速くなった。ゲームも上手くなると、ちょっとドキドキしながらマルチプレイもやってみた。その中で、オンラインでつながった外国の人がチャットで「hello:)」と話し掛けてくる。息子も知ってる英単語を駆使して返事をする。相手も英語がわからないのだとわかると、わかりやすく簡単な文で教えてくれたりする。息子の意外なコミュニケーション能力に驚かされた。知らぬ人とオンラインで知り合うのは抵抗があったが、息子は割り切ることができているようなので少し安心した。ネットの恐さもちゃんと話し合った。だから深入りはしなかった。

一緒にやると、会話も増え、次第にゲーム以外にも興味を示しだし、出来ることややりたいことが増えていった。

 

5年生の冬。時々、授業やイベントに参加できるようになっていた息子は、突然また行けなくなった。残りの小学校生活を1年くらいはやってみないと中学校に行けないのではないか、というプレッシャーを主人が与えたことが原因と考えられる。また「ダメな自分」と自身を責めてるようだった。

無理には行かせないが、毎日の様子を見ていると、決して楽しく過ごせていないのがわかる。好き勝手に遊んで過ごしていると周囲には見えるかもしれないが、決して息子は楽しんでなかった。行きたがらない息子を見ていると、私も先々の不安を悩まずにはいられなかった。そう不安がる私を見て、息子は余計に不安になってしまったかもしれない。親子共々、そうやって進退を繰り返しながら模索していた。

当時の担任の若い先生はとても優しく、息子を理解し気長に待ってくれる、お兄ちゃん的存在だった。サッカー少年の先生は、サッカーに興味を持った息子と、よく遊んでくれた。

春休み前、「来年度、僕が担任になれなかったとしても、相談にのりますから。サッカーも一緒にやりますから。」と約束してくれた。

春休み中、不安そうな息子を見かねて、私は決心する。それは、6年生のスタートを皆と同時にしようということ。息子は不安そうだったが、約束した。私が全てに付き合うことを。教室に居られないときは別室でもいい。帰りたくなったら帰ろう。とにかく朝だけでも、同じ時間に登校してみようと。

始業式、息子と私は、下校まで全てに参加した。担任は、5年の時と同じ先生。発表と同時に喜ぶ息子を見て、私も嬉しかった。

はじめの1週間は、やはり嫌だと泣いたりした。でも私の中で、もう少し押しても大丈夫かなと感じていたから、「冬の間、行けなくなった時、家にいて本当に楽しかった?あの生活がいいの?」と聞くと、黙って考える。そして、静かに首を横に振る。

友達といたい……。

もう親からの愛は満たされてきたのか、友達を求めるようになってきた。これなら心配ないと確信して、一緒に頑張ろうと励まし、少しずつ通えるようになった。

まずは朝の登校だけ出来たら合格!

クラスの子達は羨ましがったりもせず、朝しかいない息子にも優しかった。それが良かった。本当に恵まれていた。途中で帰るときも、「またね」って笑顔でハイタッチしてくれて、本当に純粋で不思議な子達だ。

こうして、先生や友達からも認めてもらえていく内に、息子も頑張るようになり、4年生と5年生の2年間のブランクを埋めるようにして、過去の教科書などで一緒に勉強をした。全部は出来ないから、算数と国語の漢字をメインにコツコツとやっていった。

イベントも一緒に参加した。マラソン大会も一緒に走った。授業も全て一緒に出た。私もクラスの皆と仲良くなり、先生方ともよく話すようになり、すっかり友達や副担任のようだった。

下級生が、「どうしてお母さんがいつも一緒なの?」と聞いてきた。隣にいる息子はどんな顔をするかと心配したが、全然平気な顔。私も、その子にわかるように正直に答えた。人目を気にしないで堂々としていると、誰もからかったりしない。息子はしっかりと自信を持てるようになってきた。

卒業まで半年、その頃には授業で手を挙げるまでになり、積極的に参加できるようになった。別室も減り、午後までいられるようになった。遅れている算数は皆と同じ教室で受けることを自ら希望し、過去のドリル問題をやりながら覚えていったし、少しずつ、私の方を振り返らなくなり、友達とふざけ合って楽しく過ごせるようになった。

卒業まで1ヶ月程となった頃、大きな賭けに出ることに。それは、朝の登校は一緒に行くが、私が一旦帰るということ。途中で帰りたくなったりしたら呼んでも良いよ、と不安にさせないようにした。

息子は、私が思っているよりも成長していた。呼ばれたのははじめの数回だけ。その内に普通に下校の時間を迎えた。その時は泣きそうな気持ちで、早く息子に会いたくて急ぎ足で向かった。疲れ切っているかと思ったら、満面の笑みで待つ息子がいた。不登校になる前はこんな笑顔で待っていなかった。凄いことだ。

卒業式では、人数が少ない学校なので、名前を呼ばれると一人ずつ夢を大声で発表するのだが、息子も立派に言えた。人前を恐れていたのに、しっかりと前を向いて言ったその姿は、力強くて素晴らしかった。

 

中学入学と共に、不安がまた襲ってきていたが、不安定ながらも少しずつ克服し、元気に通えるようになってきた。どうしてもダメな時は無理はさせない。甘やかしてるように見えるけど、私は、心が満たされれば息子は何でもできることを知っているから、口うるさく言ったりしない。押すべき時は押すが、引いて良い時は引く。たとえば、係の仕事が緊張するから嫌だというのは、やりなさいと説得する。場数を踏まなきゃいつまでも不安になるようなものなら、説得する。だから最初の一ヶ月は行きたくないと言っても、「行かなかったら不安が増すかもしれないよ」と言う。

ここで気をつけることは、メリット、デメリットを話した上で、最終的には本人の判断に任せること。親の意見を押しつけては意味がない。

こうなるかもしれないけど、ああなるかもしれないね、どうしたい?決めたら、それが正解だ。

そんな感じで、本人が出した答えに反対はしない覚悟をしておくのが大切。ここで否定してしまったら、信頼関係が壊れる。

泣きながらも「行く」と決めた息子は、満面の笑顔で帰ってきた。泣き顔を見送った私は一日気になって家事も手につかなかったが、あの笑顔を見たら一気に幸せになる。「キツく言ってごめんね。」と言うと「ありがとう」って笑った。

初めての中間テスト。結果は驚くべきものだった。英語が高得点で、クラス1位だったという。

もう不登校だったなんてわからないくらい、皆と同じように出来てるのね。

この達成感を忘れずに。息子、あなたは何でもできる!恐がる必要はない。堂々としなさい。この不登校を抜け出して前に進んだのは、あなたの力だよ。周りは手伝うことはできるけど、最終的に自分でしか前には進めない。それをやってのけたのは自分だと知って欲しい。

息子と向き合ったことで、悩み多かった私も広い視野で物事を見られるようになった。本当に強くなった。感謝の気持ちをいっぱい持てるようになった。主人ともたくさんもめながらの不登校生活だったけど、主人も変わっていった。家族全体がお互いを考えるようになり、今までにないほど仲が良くなった。全てを良い方向に導いてくれたのは、息子だと思う。

あの時、SOSを出してくれてありがとう。大きな苦しみを3年かけて、よく乗り越えてくれた。

カウンセラーの先生にも驚かれるほど、早く復帰できた。世の中には不登校で苦しむ人もたくさんいる。原因が様々で、必ずしも私と同じようにやればいいわけじゃない。いじめなどの心の傷は、また別のケアが必要かもしれない。でも、1つ思うのは、1番身近な存在である親が信じることが1番大切ではないか。1番の味方でいてあげることで、逃げ道を作ってあげたらどうだろう。

 

きっと親も子供から学ぶことがたくさんあるはず。偉そうにしてる大人達、必ずしも親が正しいとは限らない。子供も1人の人間として、お付き合いしてみたらどうだろう。意外と子供の方が良いこと言ってるかもしれない。

産まれながらに悪い人はいません。犯罪をしてしまう人も、可哀想な過去を背負っているのかも。

息子との不登校生活は今となっては幸せな時間。育て直し、幼いときにしてあげられなかったことをたくさんしてあげられた!もう一度チャンスをくれてありがとう。

 

困難を乗り越えた息子を心から誇りに思い、尊敬している。

 

主人、両親、親族、近所の方々、クラスのみんなとそのお母さん達、先生方、皆さんのお陰です。感謝しかありません。このことは一生忘れないでしょう。