久しぶりに書きます。
(おしゃれな菜の花を発見w)
毎日、仕事でもプライベートでも様々なことがありますが、ただ猛然と突き進むだけです。
仕事に関しては、愚痴にならないよう気を付けないといけませんw
相変わらずのブラックぶりを毎日のように発揮している会社ですw
社内の会話も、皆さん愚痴しか口にしませんw
あまりにも非常識なことばかりで、感覚がマヒしてきますね。
もう、どんなことがあってもあまり驚かなくなりました。
一見、味方をしてくれてる人も、実は一緒になって陰口を叩いていたり、裏工作をしていて、それを知った私は何度も傷つきましたから、もう大丈夫。
優しく接してくるその人を一切信用しなくなりました。
信用しなくなったので、笑顔でさらりとかわせるようになり、気が楽になりました。
…気は楽にはなりますが、哀しいです。
誰かの本当の優しさに触れても、それを素直に受け止められず、疑ってしまうようになりました。
何度も同じように優しくされ、他の人にもそう接しているのを何度も見て、ようやく「あぁ、この人はこういう気配りができる人なんだ」と心を許しました。
まぁ、以前の私が何でもヒョイヒョイ信じて心をすぐに開きすぎだったのかもしれませんw
こんなにも世の中の人は信じちゃいけないものなんだと、驚いています。
でも人をすぐに信じていた頃は、幸せでした。
少なくとも今よりもずっと。
相手にとって嘘の優しさでも、心から感謝し、相手に対して何かしてあげたいと心から思えたからです。
相手に対してだけでなく、周りの見知らぬ人にも優しくしてあげたいと思えたからです。
先日、息子に「何でそんなに急いでるの?」と聞かれました。
確かに、以前の私はの~んびりとしてましたから、こんなにもせかせか動いているのは自分でも大きな変化です。
これも仕事であれこれ急がないと後が大変なので、必死に駆け回っているからでしょうね。
今はプライベートでも「ハイ、次!ハイ、次!」とスケジュールをこなす為に必死です。
主人のご両親が遊びに来て、その内の1日は主人が仕事、息子は学校という時がありました。
ご両親と私だけで過ごすのは初めてでした。
ご両親の趣味がバードウォッチングで、私も好きなので一緒にある森林公園へ行きました。
他に人はいなくて、鳥を探すために会話もあまりせず、静かな時間でした。
道から探すご両親。
でも私は藪の中に座り込んで鳥を待つのが好きなので、少し藪の中にまで入り、切り倒されたままの大木に座り込みました。
久しぶりです、こんなにもゆっくりで静かな時間。
本来、こういう何時間も静かに何かを眺めているのが好きな私なんです。
小さな頃はアリの巣や行列、蜂が池の水を飲んでいるのや、石の下にいたダンゴムシをひたすらに眺めている子でした。
あぁ、そうだった、この時間が好きだったんだ。
上を見上げれば鳥達の声や羽ばたきが聞こえます。
下を見ると…何やら、下の方が賑やかです。
落ち葉の下、地面の中?
プチプチ、カサカサ、チョロチョロ、サラサラ…。
何の音かわかりませんが、地下水が流れるような音もするし、虫が何かを食べているのか、それとも暖まった大地の水分が蒸発している音なのか…様々な音が聞こえます。
地面から沸き起こる大合唱に、私は圧倒されました。
鳥の声などよりも騒がしく、正体はわからないけれど、生命というものを感じました。
久しく感じていなかった神秘的な感動が胸を熱くしました。
これはいくら庭や近所の自然が豊かでも聞こえない音です。
雑音がない、森の奥にいたからこそ聞こえた音。
うるさい程のその音は、ご両親には聞こえていませんでした。
しゃがんで下を向いた私だけが聞こえていました。
鳥探しよりも感動してしまって、ひざまずいて地面近くに耳を当ててみたり、落ち葉を退けてみたりしましたが、やはり何の音かわからなかったです。
自然はいつだって驚きを与えてくれます。
静かな中にも大きな刺激があります。
忘れていました。
こんなにも感動が心地よいなんて。
だからきっと小さい頃の私は何時間も静かにしゃがんでいたのでしょうね。
あの頃の私は知っていたのです。
自分の心の癒し方を。
森ではカタクリが咲き始めました。
庭のも咲きました。葉っぱだけのものもたくさん出てきて、いま確認できたのだけでも17株あります。
たぶんもう少し出てきます。
うっとり(*´∀`*)