SAKURAnoTUBOMIの日記

鬱病を経て、息子との不登校生活も経て、日々感じ、学び、感謝。 

私の幸せの見つけ方

私は、小さいときから悩みやすく、世界の不幸を背負ったかのように大袈裟に落ち込む子だった。

どんな大変な人生かと思いきや、今振り返っても大した不幸などない。逆に、人にも機会にも恵まれた幸せいっぱいの人生だ。

だから、今は「自分は不幸だ」なんて全く思わなくなった。時々辛いときもあるけど、後で思えばそれは「不幸」でも「ついてない」でもないと気づく。

小さい時から、ネガティブで臆病な私を、優しい姉がいつも守ってくれていた。フワフワとした雰囲気の天然の姉は、周りの人からすぐに好かれ可愛がられていて、ちょっと羨ましく憧れの人。ネガティブで常に緊張感のある気難しい私とは違うといつも感じていた。そんな私を嫌がることなく、いつも優しく味方になってくれる姉が、今でもずっと大好き。

高校生の頃から、姉みたいに優しく明るい人になりたいと思い、少しずつどうやったらポジティブになれるか考え始めた。

高校はまだ特にやりたいこともなく、あまり選ばずに決めてしまい、クラスの大半が真面目に授業を受けない荒れた高校に行ってしまった。真面目で地味だった私にとっては精神的に辛いクラスだった。絡まれたりして大変だった。

そんな時に、「ポジティブな言葉を口にするとポジティブになれる」という話を聞いて、試してみた。私は、些細なことでも何でも「幸せ」と思うことにした。

「今日は晴れたから幸せ」

「小さな花を見つけたから幸せ」

「時間に間に合って幸せ」

とか、何でもいいから幸せだと思うように意識した。最初は意識して思わないと、見過ごしたり、ついネガティブに考えちゃう。例えばバスの席が空いてなかったなとか、つまづいちゃったとか、そんな小さな不幸に目が向いてしまう。でも、意識して見ている内に、何でもないのに何となく嬉しい気持ちになってくる。

ネガティブになっている時は、自分のことしか考えていなかったけど、気持ちが明るくなってきたら、周りに目を向けられるようになった。

同じ通学通勤をしているバスや電車の乗客を見渡すと、みんな疲れ切った顔して、つまらなそうに乗っている。そんな人々の顔を見ながら、この人はどんな人生を歩んでいるのだろうかと勝手に想像するのも、いいヒマつぶしになった。

ガヤガヤうるさいクラスの雰囲気も、幸せを感じている私には何も聞こえない。授業も集中して先生の声を聞くことができた。それは本当に不思議な感覚。自分にとって嫌なものが全く視界に入ってこなくなり、必要なものはガンガン飛び込んでくる感じだった。たとえ絡まれても、全く気にもならないし、動じない私をからかっても面白くない様子。ニコッとほほえんで撃退した。

まさかとは思ったけど、自分に暗示をかける作戦は成功した。緊張した時に手のひらに「人」を書いて飲み込むのと同じ。

 

私は恵まれて不幸を知らずに生きてきたと、今なら思える。実際にはいろいろあったわけだが、ネガティブのどん底でもがいた時期もあった。苦しんだけど、振り返ればやっぱり幸せだったと思える。

苦しい真っ只中では、ポジティブになるのは難しい。だから、苦しい時は、「この苦しみはずっとは続かない、次の幸せの為の試練」と何度も心の中で唱えて、壁を乗り越えたらきっと笑ってる自分がいると信じることに集中する。「もうダメだ」と思ってしまうと一気に沈んでしまうから、口悪くてもいいから「チクショー」とか「負けてたまるか!」と強気になることが大切。

前向きになると良い運を引きつけるとか、よく聞くけど、そうなのかどうかはわからないけど、ポジティブになると確かに顔をあげて周りに好奇心が出てくる。だから、今欲しいチャンスにいち早く気づける。そして、チャンスを逃さず飛び込めるというのが、良い結果につながっている気はする。

 

私は自分自身がネガティブだっただけで、大変な人生を歩んでいるわけじゃないけど、実際に難病や障害で大変な思いをしている人の中にも、幸せだと感じている人はたくさんいる。そういう方々は目が輝いて活き活きとしている。

だから、幸せも不幸も、自分自身が決めることなのではないか。他人から見て辛そうな人生でも、本人が幸せだと感じるなら、その人生は幸せいっぱいの素敵な人生だ。病気がある=不幸ではない。

 

運がいいのか悪いのかも、自分の感じ方次第。

転んで膝をすりむいたら、「ついてない、最悪だ」と思うのか、「すりむいただけで良かった」と思うのか。

性格も、例えば静かな人に対して「暗い」と思うのか、「おしとやか」や「思慮深い」と思うのかで印象が違う。ぐいぐい来る人も「強引」「がさつ」と思うのか「行動力がある」「リーダーシップがある」などと思った方がどうかな。

 

小学校にガミガミ怒ってばかりのちょっと理不尽なことを言う女の先生がいたのだけど、当時息子は「一生懸命なだけで、決して悪い人ではない」と言った。小学生にとって口うるさく怖い先生なのかと思っていたが、そう言われたら、急に嫌な印象はなくなった。次に先生の怒っている姿を見ても、「一生懸命だな」と微笑ましいぐらいに感じた。保護者の間でも怖いと有名だったが、私は息子のお陰で怖くなくなった。

 

何事も気持ち次第

 

何だか昔よく言われてたが、今ようやく実感している私。ここまで何年かかったのか。

自分の見方を少し角度を変えるだけで見えてくるものがあって、1つの最悪な出来事も見る角度によっては小さな奇跡を秘めたモノかもしれない。その小さな奇跡に気づけたなら、きっと幸せいっぱいになれると思う。

 

幸せと不幸、どちらにスポットライトを当てるか。見たい方を見るとするなら、どちらがいい?

私は常に「幸せ」を見ていたい(*´ω`*)

いっぱい目につく「不幸」の中から目を凝らして探し出す。宝探しみたいで面白い。

世の中の「辛い、辛い」って言ってる方も、気づいてほしい。「幸せ」は自分の中にたくさんあること。「不幸」をひっくり返してみたら、きっと裏は「幸せ」なんじゃないかな。

 

ひっくり返してみよう。自分の為に。