SAKURAnoTUBOMIの日記

鬱病を経て、息子との不登校生活も経て、日々感じ、学び、感謝。 

感動すること

今までにたくさんの美しい光景を見てきた。

 

私は、リアルすぎるほどリアルな夢を見ることが多く、目覚めても細かく覚えていることがほとんど。恐い夢もたくさんあったが、時々、現実ではできないけどリアルな夢で疑似体験して素晴らしく感動したことも多い。

 

3位 空を飛ぶ夢

月明かりが射し込む部屋にいて、窓を開けると気持ちいい風を感じる。満天の星空を眺めているうちにスッと体が浮いて、窓から飛び立つ。どんどん家は遠ざかり、周りの家々も小さく見えるほど空へ飛び上がる。浮いたまま仰向けになって満天の星空を眺め、ふと友達に会いに行きたくなり、夜の街並みを自由に飛び回りながら、友達の部屋の窓をノックする。(真夜中に迷惑…😅)友達も窓から飛び出し、一緒に飛び回って遊んだ。

飛んだことはないけど、飛ぶ恐さはなく、夢の中で感じた風の感覚、夜の香り、星空の瞬き、全てがリアルな感覚で、目が覚めてもドキドキしていた( ´艸`)とても気持ちいい夢だった🎵

 

2位 星座

同じく星の夜。住宅街の上り坂をゆっくり歩いていた。坂の上の方は家が少なくなり、少し景色が広がってくる。

もうすぐ頂上という頃、目の前が明るくなり、ふと見ると道のど真ん中に光り輝くさそり座が…。

(わかりにくいけど、よくプラネタリウムなどで見る、星と星を結んで〇〇座って説明されるが、あの映像が立体化したようなものが、目の前にある感じ)

白く輝く線で結ばれたキラキラしたさそり座のそばに行くと、もっと先には別の星座もある。

その美しさにうっとりしたまま目が覚めた。プラネタリウムの線で結ばれた星座がボトッと落ちてきた感じで、現実には星はそんな小さな物ではないのだから、明らかにおかしなことなのだけど、建物よりも大きなさそり座が佇む姿は迫力もあり、輝きが星の瞬きのようにキラキラとして本当に感動した。

 

1位 巨大なUFO?

またまた夜。

あり得ない程の大豪邸にいて、たくさんの人が集まり、パーティーのようなことをしていた。(私は主なのか客なのかわからないけど😅)豪邸の内外で皆ワイワイと楽しみ、見えるのは豪邸の煌びやかな明かり、広大な敷地の外には明かりの灯った街並み、そして広~い空には満天の星空。とにかく広大過ぎるほど広大。私はテラスからその美しい景色を眺めていた。

これだけでも素敵なのだが。

周りがざわめきだし、皆と同じように空を見上げると、満天の星空を半分隠すように巨大なUFOがっっ!!!

SFの映画に出てくるような巨大なUFOがゆっくりと移動していた。何も遮るものもない広大な星空が半分隠れるくらい大きいのだから、とんでもない大きさ。キラキラとあちらこちらが様々な色に光っているUFO。恐怖はなく、ただただ迫力と美しさに圧倒された。

 

以上がベスト3。他にもたくさんあるけど、特にうっとりした夢。書いてみたら星空が多い(*´ω`*)

 

夢だけじゃなく現実にも美しい光景に出会ったことがある。

 

ターザン

小学生の頃、友達と2人で団地の上にある森の中に入ったときのこと。外から見たら、普通の小山なのだけど、木々が密集していると思っていた森の中は、意外にも広いスペースがあり不思議な空気だった。木々のドームの中にいるような広がり。背の高い木に囲まれた緩やかな斜面は背の低いクマザサに覆われていた。木漏れ日で思ったより明るく、緑がキラキラしていた。誰かの秘密基地だったのか、斜面の真ん中に生えた1本の太い木からロープがぶら下がっていて、ロープの先は結んでコブが作ってあった。たぶん、ターザンして遊んでたのかな。

そのロープにつかまり、思い切って斜面の上からターザンをしてみた。斜面なのだから当たり前だけど、一気に地面が遠ざかり飛んでるみたいになった。高くて少し恐かったが、とても爽快だった。今思えば、しっかりとつかまっていないと大怪我してたかもしれないぐらい危ない高さだった…(^-^;)

クマザサをそよそよと揺らすそよ風も心地良くて、神秘的だった。

前回のブログで書いたようにパニック障害があるので、あまり長くは乗っていたくないけど、揺れる恐怖よりも感動が勝ってたから大丈夫だったのかもしれない。

 

夜、家の中から空を見ると、遠くの空が一瞬明るくなった。2階のベランダに出て見ていると、真っ暗な空がパッと白く眩しく光った。遠くの方の稲光。真っ暗なままでは見えない大きな入道雲の形が、稲光と共に一瞬そびえ立って見えた。続けてビカビカと光るときには、しばらくその姿を見せ、空や木々は青く染まる。手前の空は星が見えるほど晴れている。遠く光る雷は、音が届かず、ただ静かに空を染める。

あの入道雲の下は、きっとゴロゴロと恐ろしい音を立てているのだろう。でも、遠くから眺めるその光景は、とても不思議で素敵だった。

 

雷2

同じように雷。夕暮れ時、広い空に大きな入道雲が浮かんでいた。少し赤く夕陽に染まった入道雲が時々色を変えていた。よく見ると、入道雲の中で雷が走っている。雲の下に落ちるのではなく、雲の内側で激しく点滅していた。

 

ふとした瞬間の感動はこれからも大切にしたい。忘れたくない。美しい光景は遠くへ行かずとも、いつもすぐそばにあって、その美しさに気づけたなら私は幸せ者だ(*´ω`*)

 

また神秘的な瞬間に出会いたい。

 

私のパニック障害

今朝は3時頃、目が覚めてしまった。昔から精神的に過敏な方で、小さなことでも気になっていると体調などにすぐに影響を及ぼす。

 

物心ついた時からあるパニック障害を持っていた。誰にでも生理的に無理な物はあるし、生まれつき嫌なものなのだから仕方ないのだけど。

私は揺れるもの恐怖症

船などで酔うから嫌だという人はいると思うけど、私は酔うからではない。ぶら下がった物や、それを連想させる音や音楽、水のように不安定な動きの物、響く音、一定のリズムのもの、ひどいときには、草木のそよぐ感じや、呼吸、心臓の鼓動でさえも恐怖になる。

その恐怖を例えるなら、ドアも窓もない部屋に1人立っていて、床や天井、全ての壁が迫ってくるような、押し潰されてしまうような恐怖かな。逃げ場がなくギュウッと狭くなり焦る感じ。鼓動がバクバクして、まさにパニック!

不思議なことに常にではない。気持ちに余裕のあるときは、歌を口ずさんでリズムに乗ってたりする。だから歌が嫌なわけじゃない。

でも、気持ちに余裕がない、少しでも不安や緊張をかんじていると、急に気になり出す。口ずさんでいた歌も、ハッとなると急に止める。歌の場合、自分で歌っている時は嫌になればいつでも止められるが、他の誰かが歌っている時は本当に困る。気を遣って我慢するのか、説明して止めて貰うか。

今は「パニック障害」という言葉が知られているから説明しやすくなった。でも以前は理解して貰えず、変な顔をされるだけ。自分でも口ずさむのに、歌わないで欲しいなんて言ったら、それは不愉快な思いをさせても仕方ない。いざ恐怖を感じ始めると、相手に気を遣う余裕もなく、「やめて!」と強く言ってしまうこともあり、睨まれてしまうこともあった。

目をつむり、お風呂の湯の揺れを手で必死に鎮めるのは、幼い頃からずっと今でもやっていること。揺れるものがある所では歌うことは絶対にできない。恐怖が増すから。

洗濯物を干すのも大変。なるべく見ないようにしたり、ダメになったら一旦その場を離れなくてはならない。

 

家族でさえもなかなか理解しづらいようで、幼い頃、リビングに振り子のついた小さな時計があって、振り子の横に物を挟み込んで止めたりした。少しして見るとまた動いてる。無理に止められた振り子は壊れてしまうからと、誰かが直したのだろう。見ないでいても後ろから「チッチッ…」と時を刻む音が聞こえて、気になればなるほど音は大きく迫り来る。我慢できずに物を挟み込んだ私に父が注意する。母も当時は病気だと思っていなかったと思うが、何となく嫌なのだと知っていたから、いつも私の味方をしてくれていた。それでも、揺れるものが嫌じゃない人達からすれば、なかなか気づけないことだから、こちらから訴えなくてはならない。

両親はよく歌番組を見ていた。夕食時は他の番組にしてもらったりし、それ以外は自分の部屋に逃げ込み耳を塞いで気持ちが落ち着くまでこもっていた。

恐怖がただのワガママに見えてしまうことに気まずさを感じながら過ごしていた。

 

成長するにつれて、長い付き合いのこのパニック障害とも少しずつ上手に付き合えるようになった。

それは、周りの身近な人には早めに話しておくと、いざパニックが起きても理解してもらえるという安心があるため、意外と症状も出ずに過ごせることが多い。パニック障害の症状が出る1番の原因は「不安」だから、先に安心を確保するだけで症状も起きにくくなる。

主人も私のパニック障害を理解し、決して責めない人だったので結婚するときも安心だった。息子も良き理解者。

精神的に弱っているときは過敏になり、目をつむり耳を塞がないとダメなときもある。でも、理解者がいるということが、何よりも心強い。

様々なパニック障害があるけれど、どれにも共通して言えることだと思う。例え理解されなくてもいいから、周りの人に話しておくことで安心感が違う。特に今は、「パニック障害」という言葉で伝わりやすくなっているので、周りに助けを求めやすいと思う。1人で悩まず、自分の逃げ場をしっかりと確保しよう。

 

鬱病、息子との不登校生活も、今となっては私を強くするために起きた出来事。パニック障害も私を強くしてくれているのだろう。鬱で今辛い方も、身の回りの大変なこと全てが、いつか自分の力になるはず。今は力が出せなくても、苦しくて潰れそうでも、ゆっくり充電すべき時期と思い、じっと耐えて。しっかり充電されれば、自然と前に進みたくなるもの。実際に不登校だった息子が証明してくれた。何も出来なくなった息子は、今、何も言わずともどんどん前進している。またつまづいた時は、休めばいい。

 

パニック障害も心の病も、「そのまんまでいい」を心掛けよう!😊焦らずゆっくりでいい。

森の妖精たち

今日も晴れ☀那須高原も少しずつ暑さを感じるようになった。

梅雨の時期は夜が肌寒いくらいで、夏も夜はスーッと冷えることも多い。

 

森のようなこの辺りはとても涼しい。近くに小川があるから湿度も高く、道沿いにはコケの絨毯ができている。そんな環境だから、春から秋にかけて様々なキノコ達が姿を見せる。

今回はそんなキノコ達の写真を紹介。名前は調べたりもしたが、定かではないので載せるのはやめておこう😜

f:id:SAKURAnoTUBOMI:20190626185736j:image色も美しくてフォームもきれい。大きくて目立つから、毎年のように、つい写真を撮りたくなる。
f:id:SAKURAnoTUBOMI:20190626204158j:image
仲良く密集!ギュウギュウに生えちゃって…成長の妨げにならないのかな。
f:id:SAKURAnoTUBOMI:20190626195916j:imageこれは、調べたら有毒のキノコにそっくり。でも、絵を描く人間としては本当に魅力的な雰囲気。
f:id:SAKURAnoTUBOMI:20190626195947j:imageこのキノコは本当に大きくて、道を歩きながら見ると、巨大などら焼きにしか見えない。存在感バツグン。よく見ると根元にさっきのキノコも一緒に写ってる。
f:id:SAKURAnoTUBOMI:20190626200018j:imageちょっと反り返ってしまったけど、もう少し若いときは赤い色が鮮やかで可愛らしいキノコ。コケとの雰囲気が素敵。
f:id:SAKURAnoTUBOMI:20190626200042j:imageこちらは、初めて見た小さな灰色のキノコ。本当に小さくて地味だから、他のキノコの写真を撮ろうとしゃがんだら、偶然見つけた。
f:id:SAKURAnoTUBOMI:20190626200107j:imageこちらも上のキノコと同じ種類かな。写真の色味が違うけど、肉眼で見た感じは同じように灰色だった。大人な感じで素敵。
f:id:SAKURAnoTUBOMI:20190626200135j:imageこちらも小さくて白くぼんやりと生えていた。透き通るような白い立ち姿。頭の上だけ少し薄く茶色くなってる。
f:id:SAKURAnoTUBOMI:20190626200220j:imageこちらもさらにさらに小さい。何やら赤い点々があるなぁと思い、しゃがんで見たら、こんなに可愛いキノコ。美しい色なのに、こんなにも謙虚にひっそりと佇んでた。
f:id:SAKURAnoTUBOMI:20190626200157j:imageそして、私が1番気に入ってるのはこの写真!小さな細いキノコ達が群生してて、とても幻想的だった。小人になってこんな森に迷い込んだら…なんて想像してしまったり。

 

他にもたくさんあるけど、これぐらいにして…。足を止め、目線を低くして、じっくり観察してみると、普段は見えない不思議な光景を見ることができる。私にとっては、そんな夢心地な非日常的な光景が、絵を描く刺激にもなるし、想像力を育ててくれる大切なもの。

木々を眺めて大自然を感じてる人もいるが、私は自然の本当の楽しみ方は、そこに住む様々な生き物の息吹を感じることだと思う。

 

…やっぱり私変わってるのかな。

久しぶりののんびり庭タイム

久しぶりの晴れ☀

庭に出てみると雑草もモッサリと生えてる。

そんな中、ようやく開花し始めたホタルブクロ

f:id:SAKURAnoTUBOMI:20190625185632j:image

ご近所のホタルブクロはもうすでに満開だけど、我が家のホタルブクロは森のような庭の真ん中だから、陽当たり悪くてのんびり屋さん。でも、こんなにたくさん蕾をつけて楽しませてくれてる。

 

今年はタイツリソウやバラ、クレマチスハニーサックル、そして今咲き始めたアジサイも、ヤマユリもみんな花数が多くて、楽しみがいっぱい。

庭の隅で陽当たりの悪いミニ菜園では、トウモロコシも元気に育ってる。枝豆も一緒に。

 

この辺りは森のようだから様々なキノコが生えてくる。中には有毒なものもあるから気をつけないと…。庭に生えたこれは何キノコだろう?

f:id:SAKURAnoTUBOMI:20190625191102j:image並んで可愛い。

 

次回はこの辺りで見かけるキノコの写真でも載せてみよう。

絵がくれた時間

絵を描くのは楽しい

画材にも種類がたくさんあるけど、私が好きなのは素朴な鉛筆画。

鉛筆でスケッチする時は、緊張とスリル。目の前にあるものを感じて、いかに細部まで観察し、形を捉えることが出来るか、精神を集中しないと描けない。たった今の光景を残すため、必死に描く。

途中で飛び込んでくる生き物達を、絵に描き加える時は、物語の主人公のように思えてきて、小さな虫も可愛くなる。

時間をかけて細かく細かく描き込む精密な鉛筆画は、私を夢中にしてくれる。

 

最近はボールペンでイラストを描くときも多い。ボールペンも力の入れ方で薄く影のように入れることも出来るから、リアルなものも十分描ける。消せない分、緊張感もあるけど、逆に大胆に描くと、何本も描いた線が躍動感があって楽しい。
f:id:SAKURAnoTUBOMI:20190624105146j:image

ミツバチも、ほら。それっぽくなる。ボールペンも立派な画材。

少しクラシックな雰囲気にもなるから、リアルな感じで描くのが好き。

 

息子が小学生の時、学習タイムなどを記録する学校の提出物があった。保護者のサインの欄に、ただハンコを押したりするのもつまらない。息子が少しでも楽しくなるようにと、小さなマスの中に息子の好きなゲームのキャラクターなどを描き込んだりした。息子はそれを楽しみ、学習も励んだ。f:id:SAKURAnoTUBOMI:20190624123015j:image
学校の友達や先生の反応が面白かったと喜び、学校に提出する楽しみができたことで、復帰するきっかけにもなった。

1ヶ月分のサイン欄を描ききった時、私も1つの作品を描き上げたかのような達成感を感じた。

 

学校の黒板に特別に描かせてもらったりもした。

f:id:SAKURAnoTUBOMI:20190624123426j:image
f:id:SAKURAnoTUBOMI:20190624123338j:image

作品として世には出て行かないが、私が描いた時間と作品達は、息子との大切な想い出

 

幸せ者!

出会いってやっぱり運命なのか…。

 

私はとても恵まれている。…そう昔から感じる。決して裕福というわけではない。逆に家計は火の車。だけど、つくづく恵まれているなぁと感じる。

 

幼稚園の時いつも一緒だった女の子は、色白で、か弱い静かな子で、親の事情で突然引っ越してしまった。引っ越す直前に聞かされ、その子の家の近くまで走って行くと、トラックに荷物を運び入れ、こちらに小さく手を振るその子がいた。突然の別れに泣くしかなかった。

すると小学1年生の終わりの頃に、1人の女の子が転入してきた。新しく来た子にみんなの関心が集まり、「どこから来たの?」と質問攻めにあっていた。

シャイな私は自分から声を掛けられなかったが、チラリと目が合ったのを覚えてる。どうやって仲良くなったのか…気がついたらその子と一緒にいた。

色白で体は細く、か弱そうなその子は、幼稚園の時仲の良かったあの子に似てる。だから記憶にも残らないほど自然に仲良くなったのかもしれない。

学校が終わってもお互いの家でよく遊んだ。よくケンカもしたが、すぐに仲直りできた。大きくなるにつれて、お互いの気持ちがわかるほどになり、ケンカもほとんどなくなった。

彼女は生まれながらに心臓を患っていて、学校では、急に驚かしたりしないように、と指導があった。

私は彼女のお母さんから聞いていて、当時は心臓病がどんなものなのかよくわからなかったが、大変なことなのだと理解していた。彼女を助けたい一心で、

 

私の心臓をあげる

 

血液型が違うのにそんなことばかり言っていた。でも、そんな想いが私を強くしてくれた。幼稚園の時の友達を守れなかったが、新たに守りたい存在が現れたことで、何でもできる気になれた。だから心臓をあげるなんて言えたのだろうね…。彼女の為ならあげても構わないと本気で思っていた。

実際は彼女の方が気が強く、私の方が守られていた気もするが、お互いに守り守られ最高の親友となっていった。

 

中学の給食の時、不思議なことが起こった。お互いに別の班だった為に背中合わせに食事していた。突然、彼女に名前を呼ばれたので振り向くと、彼女も同時に振り向いた。お互いに見つめ合ってから、同時に「何?」って聞く。

「え?呼んだでしょ?」

「え?呼んだのはそっちでしょ?」

とおかしなやり取りをした。近くで見ていた先生は、そのおかしな光景を見ていて、「お前達本当に仲良いなぁ」と笑った。

どちらも同じような空耳を聞いたのか…。今でも不思議で仕方がない。

その後の進路は別々だったが、どんなに離れていても、彼女が頑張っていると思うと、私も頑張れる。連絡もたまにしか取らないし、遠くてなかなか会えないが、何年会えなくとも妙な安心感がある。昔のように彼女の為なら何でもしてあげられる、そう今でも感じる。

 

主人との出会いも不思議で、職場の先輩後輩という形で知り合ったが、付き合い始めた日が、たまたま主人の母方の祖母の命日。

結婚し、もともとその祖母が所有していたという土地を貰い、家を建てた。そこは別荘地。森のような所で、すぐ近くには小川があり木々の中を流れている水の音が心地良い。様々な鳥が飛び交い、周りにも別荘や居住されている家もあるが、静かでとても良い雰囲気。この土地の周りだけ、やたらと巨木が残っている。

小さい時から森の中に住みたいと願っていた私は、思わぬ出会いから夢が叶ってしまった。周りの親族も驚いた。

結婚式の時の写真と引越初日の新居での写真には、それぞれ1枚だけにちいさなオーブが1つ写っていた。もしかして、主人のおばあちゃんが巡り合わせて下さったのかもしれない。何か意味があって巡り合わせたのかもしれない。

 

良い縁も悪い縁も、何か大切な意味があって巡り合うものなのかもしれない。そこから、何かを感じ、学び、感謝することが大切だと思う。

ウジウジ考えてると悪い縁が寄ってくるし、心入れ替えると悪い縁は去る。実際に私はそうだった。前向きになろうと心入れ替えたら、嫌だなと感じていた相手が、急に職場を離れて行ったり、絶妙なタイミングで去った。まぁ、その私が嫌だと感じる人だって、私に何かを気付かせるために現れたのだし、どこかの誰かにとっては素敵な方かもしれないのだから、その誰かに出会うために出発したのだろう。

そう考えていると、気持ちが楽になる。

 

嫌な人は自分に試練を与え成長させてくれる。

良い人は自分にチャンスを与え飛躍させてくれる。

 

こんな風に考えてみたら、全部、結局自分の為になってると思えて頑張れる٩(๑´3`๑)۶かな。

だから、私は「恵まれているなぁ」と心から感じる。

記憶の中の色

今週のお題「わたしの好きな色」

 

幼い頃、花にすごく興味があったわけでもないけど、庭に咲いた小さな青い花を見て、とてつもない感動を覚えた。幼心に響いたその色は、美しいブルーなのだけれど、ただのブルーではなく、花の中心に近づくにつれて赤紫色へとグラデーションが素晴らしかった。ハッキリとしたブルーから赤みのある紫色へという強烈な色の変化に、幼い私はすっかり魅了されていた。

大人になり母に名前を聞いていたはずが、すっかり忘れてしまった。今は実家の庭を見てもあの色の花が見られない。

大人になってから、ガーデニングを好きになり、ぜひあの花を…と思い、母に一生懸命花の説明をして尋ねたが、母も記憶が曖昧で、そんな花があったことすら微妙になっていた。記憶を頼りに花の売り場を探し回るが、なかなかない。葉の雰囲気は何となくでしか記憶にないが、花の形としては、アメリカンブルーが似ていた。でも違う!こういうブルーではない!!花ももう少し厚みがあるような感じで、ブルーももう少し濃厚な色だった。本屋さんでも必死に探したが、図鑑にもガーデニングの本にもその花はなかった。

 

私は今でもずっとあの色の感動が忘れられない。今まで見てきた花も美しいが、あの時以来、色で感動することはなかった。特別ブルーが好きだったとかいうわけでもなかったが、幼心にドーンと響いたあの感動をもう一度味わいたい。

 

いつかまた出会えたらなぁ。